給湯室の魔法〜ある日の木崎先輩と私〜

「おー、坂井さんじゃん」
「あ、先輩」

給湯室で来客用の湯のみを洗っている所に、通る声が聞こえてきた。
入口を見ると、私より1年先輩の木崎先輩が立っていた。

「いつも思うけど、その“先輩”ってなんかいいよね。響きが」
「え、いや、よくわかりません」
「男の夢だね!!」

まったくわかりません、先輩。
そんなキラッキラの笑顔で言われても、はい、まったく。

「私も、いつも思うんですけど……先輩のそのカップ、個性的ですよね」

湯のみをカゴへと移しながら、私は笑う。
木崎先輩ご愛用のコーヒーカップ。
なんとも形容しがたいデザインのもの。
気になっていた。ずっと。

「あー、これ? ウケるっしょ。
俺の友達の工藤ってやつがお土産で買ってきてくれたんだけど、斜め上過ぎてすげぇ気に入ったの」

確かに相当斜め上なお土産だ。
先輩のお友達って一体どんな人なのかめちゃくちゃ気になってきた。
そしてそれを気に入ってしまう木崎先輩も、やっぱ変わってるな……。

「お待たせしました。どうぞ」

湯のみをすべてカゴにふせ、先輩に場所を空ける。
先輩はにこりと笑ってシンクの前へと移動する。
細い通路を先輩とギリギリの所ですれ違う。

「あ、いい匂い」
「え?」
「なんかつけてる? 香水?」
「いえ、何も……」

鼻がいい私は、香水とかは苦手でまったくつけない。
友人にはボディバターなんかも勧められたけど、ダメだった。

「なんか今いい匂いしたんだけど。シャンプー?」
「えっ、いや、なんか恥ずかしいんですけど」

そういうと、先輩の表情が変わる。
うわー、ドSな顔。

「もっかい嗅がせて」

そう言ってぐっと私に近づいてくる。
狭い給湯室。逃げ場はない。
思わずぐっと目を閉じてしまった。

「ん。やっぱシャンプーかな」

自分の頭上に、先輩の気配。近い。
怖くて。先輩の顔を間近に見るのがなんだか怖くて、目が、開けられない。

「そんなぎゅっと目閉じてるとキスとかされちゃいますよお姉さん」

その言葉に弾かれたように勢いよく目を開けた。
視界に入ったのは笑いを堪えてる先輩の姿。
またからかわれた……。

「先輩……!!」
「いやもうマジで坂井さんツボだわ」
「私で遊ばないでください!!」

私の訴えも虚しく、先輩は身体を後ろに反らせるくらい笑ってる。
全力で楽しそうですね、先輩。
私は全然楽しくないですよ。

「いやー、おっさんセクハラで訴えられるなー」
「おっさんって……1歳しか違わないじゃないですか」
「あー、俺実は今59歳なんだよね。これ内緒ね。マジトップシークレットだよ」

これ本当なんじゃないかと思うくらい真剣な顔で言われる。
でも、こういうときの先輩の言葉は大体嘘。
って言うかこの人いつも適当過ぎてどれが本当かわからない。
……そうなると、もしかして、本当に59歳……いやそれはないな。

「っと、先輩とここで遊んでる場合じゃありませんでした。仕事戻ります」

なんたって今は業務中。私はここに湯のみを洗いに来ただけ。
早く戻って仕事しなきゃ。
もちろんそれは、木崎先輩にも言えるわけですが。

「そんなガツガツ仕事しなくていーじゃん。俺はむしろ酒飲みながらくらいの方がはかどると思うね」
「ははっ、そうですね」
「……あんまり根詰めると身体壊すぞー? 最近残業ばっかだろ」
「えっ」

なんで、知ってるのかと。
人のこと全然興味なさそうなくせして。

「とか今の先輩っぽくね? いやー、俺っていい先輩だなー!」

そう言いながら先輩は私の横を通り過ぎる。
私の肩を、ポンポンって叩いて。

「今度思いっきり潰れるまで飲みに行こーな」

そんな、言葉を残して。


ある日の、木崎先輩と私。
誰も知らない、狭い狭い、給湯室での出来事。







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