君の音色

「最低な音色」

聴こえてきた声に、僕は音楽室の入口に目を向けた。
そこには髪の毛を綺麗な茶色に染めた女の子が、顔を顰めて立っていた。
細く長い足が、ミニスカートによって強調されている。

「緑川さん……」

僕はその人の名前を呟いた。
彼女のことは、以前から知っている。
クラスは違うけれど、彼女の存在はとても目立つ。

緑川さつき

他の女子生徒とは明らかに違ったオーラを持つ女の子。
聞いた話によると、モデルをやってるんだとか。
どうりでスタイルがいいはずだ。
いや、スタイルがいいからモデルがやれるのか。

「それ、あんたのオリジナル?」

彼女はそう僕に言葉を投げてきた。
ボーっと彼女を見ていた僕は、はっとする。

「そう、だけど」
「せっかくいい曲なのに音色が最悪。まったく曲に合ってない」

早口に言われ、僕は唖然とした。
今日は色々とイライラすることがあって、放課後音楽室にやってきた。
イライラをピアノにぶつけていた。
彼女にそれを見破られた気がした。

「ピアノに八つ当たりするなんて格好悪い」

そう言いながら、彼女は僕に近づいてきた。
そっと鍵盤に指を乗せる。
足だけじゃなく、指も、細く長い。綺麗だ。

「うちの兄貴みたいなことしないでよね」

小さく呟いて、彼女は柔らかく鍵盤を叩いた。
それは、さっき僕が弾いていた曲。
完璧なオリジナルなのに、彼女は一度聴いただけで覚えてしまったらしい。

「す、すごいね」
「音楽一家に育つと耳は勝手によくなるのよ」

僕がさっき弾いていたところまで弾き終わると、彼女はピアノから離れる。
彼女は今、「音楽一家」と言った。
そんな話は聞いたことがなかった。

「深沢誠って知ってる?」
「あ、うん。知ってる」

彼女が口にした名前を、僕は何度もテレビや雑誌で見かけていた。
最近有名なピアニストだ。
若い頃から数々のコンテストで賞を取っているらしい。

「それ、兄貴」
「えっ」

彼女がさっき呟いた“兄貴”がまさか深沢誠だとは。
僕はぽかんと口を開けていた。

「え、え、でも、名字が・・・…」
「うち両親離婚してるから」

なるほど。
素直に納得してしまった。
でも、深沢誠が兄と言うことは……。

「深沢詩織は、もしかして……」
「母親」

深沢詩織は有名なバイオリニスト。
最近有名になってきた深沢誠と共に、何かと話題に上げられている。
まさかそんな有名人の家族が同級生にいたとは全然知らなかった。

「さすがにお父さんのことは知らないだろうけどね」
「え、誰……?」
「緑川徹」

確かにその名前に聴き覚えはなかった。
でもここで名前を出すということは、お父さんも音楽に関わる仕事をしている人なんだろう。

「指揮者やってる」
「あ、そうなんだ」

本当に完璧な音楽家一家だ。
彼女が今すらすらっと僕の曲を弾いてしまえたのも納得がいく。
小さい頃から音楽がとても身近な所にあったんだろう。

「緑川さんは、音楽の道には進まないの?」
「私才能ないから」

吐き捨てるように、彼女は言った。
そんなことない、とかは僕には言えなかった。
音楽の世界がどれほど厳しいものか、彼女は僕なんかよりよくわかっている。
だから僕が何かを言うのは、きっと間違っている。

「そっか」

ただそうやって返した。
そしたら、彼女は笑った。

「初めてだ、その反応」
「え?」
「今まで皆そんなことないよ、とか言ってきた」

くすくすと笑いながら彼女は言った。
その笑顔は、本当に可愛くて。
思わず僕は見とれてしまっていた。

「ごめん、私あんたの名前知らないんだけど、何?」
「え? あ、近藤律」

僕の名前なんか知らなくて当然なんだろうけど、なんだか少しショックだった。
そんなに存在感ないのかな、僕。とか考えたり。

「りつ?」
「旋律の、律」
「へぇ、いいね」

彼女はにこりと笑って、また鍵盤に細く長い指を乗せた。
そして僕の顔を見て、また笑う。

「さっきの曲、一緒に弾こう、律」

僕は自分の心の中に何かが芽生えるのを感じていた。




「律はコンクールとか出ないわけ?」
「興味がないんだ」

僕とさつきは、度々音楽室で会うようになった。
さつきのモデルの仕事がない日は、ほぼ毎日。
一緒にピアノを弾いたり、僕だけが弾いたり。
僕にとって、さつきとの時間は何物にも代え難いものだった。

「音色って、弾く人間そのものだと思うんだ。
それを他人に優劣つけられるのが、僕はあんまり好きじゃない」

ピアノを弾くのはあくまでも趣味だ。
評価してもらいたいから弾くわけじゃない。
弾きたいから弾く。
そのスタンスを、変える気はなかった。

「それ、うちのバカ家族にも聞かせてやりたいな」

ピアノに軽くよりかかりながら、さつきは苦笑した。
さつきはたまに家族のことを話す。
そのとき決まって彼女は悲しそうな、寂しそうな表情をするんだ。

「さつき、僕新しい曲作ったんだ」
「え、マジで? 弾いてよ」
「うん」

さつきとの毎日を過ごす中で、少しずつ、少しずつ書き溜めていった。
彼女とひとつ言葉を交わす度に、頭の中にメロディが浮かぶ。
この曲には、彼女への想いが溢れている。
きっとさつきならば、わかってくれるはずだ。

「律?」

演奏し終わると、目を閉じていたさつきはにやりと笑った。
そしてぱっと目を開け、僕の近くまで歩いてくる。
椅子に座る僕の後ろから、彼女は僕の耳に口を近づけた。

「これ、告白?」

ほらやっぱり、さつきにはわかった。
この曲が、さつきへ贈るものだということ。

「僕は口下手だから。この方がさつきに伝わるかと思って」
「律らしいな」

そう言って笑うさつき。
僕の気持ちは、きっと届いてる。

「今の曲、一緒に弾こうか、律」

それは、さつきからの返事だと思ってもいいのかな?





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