繋いだ手、どうか、離さないで

逃げたのは、私の方だった。





「あかり、今日はどこで飯食おうか」
「ん〜、そうだねぇ」

木下あかり、25歳。
結婚を考えてる彼氏がいる。
毎日平凡ながらも幸せに過ごしている。
今のところ、なんの問題も、なし。

「あれ? あんなとこに新しい居酒屋出来てる」
「また居酒屋かよ。お前ホント好きだな」

彼の呆れる声を聞きながら、私は目に付いた居酒屋へと足を進めた。
彼の言う通り、私は居酒屋が好き。
変にかしこまった店より楽だし、意外と料理も美味しいから。

「いらっしゃいませー!!」

一歩踏み入れた店内。
入ってすぐ左に土足置き場。
正面にはレジがあって、その横の通路を進むと簡易個室のように区切られた席。

「うん。いい感じ」

座席が区切られているから、恋人同士にはもってこいのお店だと思った。
こういう配慮が出来るお店は大好きだ。

「お客様2名様ですか?」
「あ、はい」

店員に声をかけられて、顔を上げた。
そして……固まった。

「ひろ、き……」

思わず漏れた自分の声。
咄嗟に右手を口を覆った。
不審そうな顔で私を見る彼と、店員。
そして店員が、はっとしたように目を見開いた。

「あかり……?」

名前を呼ばれて確信した。
やっぱり、人違いなんかじゃなかった。
私はこの店員を知っている。
いや、知っているどころの話じゃない。

「何? 知り合い?」

彼が睨むように店員を見る。
失敗した。
名前なんか、呼ぶんじゃなかった。

「高校のときの同級生なの。ひ、久しぶりだね」
「あ、あぁ。そうだな」

私も店員も、ぎこちなく笑う。
彼は尚も店員のことをじっと見ていた。

「あ、じゃあお席にご案内します。こちらへどうぞ」

促されて、私たちは座席へと向かった。
心臓が、バクバクしている。
どうして?
どうして今更こんな所で会わなきゃいけないの?

「昔の彼氏とかだったりするのかよ」
「え?」

席に着いて店員の姿が見えなくなった途端、彼が言った。
その声は、いつもより若干低い。

「明らかに動揺してただろ? あかりも、あっちも」

やっぱりバレバレか。
あんな態度をとれば当然だと思う。

「あー、うん。付き合ってた」
「どんくらい?」
「4年、くらい」

彼、博樹と付き合い出したのは、高校入学してすぐだった。
というのも、出会いは高校入学前で。
簡単に言えば、入試のときにお互い一目惚れした、ってこと。
高校入学して、奇しくも同じクラスで……とドラマみたいな展開が用意されていた。
付き合ったのも、ごく自然な流れだったと思う。

「なんで別れた?」

その質問には、押し黙るしかなかった。
それは、思い出したくない記憶。
今も、胸を切り裂かれるような、そんな気持ちになる、あの日の記憶。





「俺が浮気とかするわけないだろ?!」
「だって!! 最近会う時間減ったし、連絡も……!!」
「そんなの仕事で忙しいんだから仕方ないだろうが!!」

高校を卒業してからも、博樹との付き合いは続いた。
だけど、就職した彼と進学した私。
その生活の違いは如実に表れていて。
すれ違いが多くなった。
そんな生活に、先に耐えられなくなったのは私の方。

「仕方ないって、そんな言葉で片付けるの?!」

浮気してるんじゃないかとか、もう気持ちが離れたんじゃないかとか。
とことん博樹を疑って、責めて。
そんな私に、博樹は疲れていたと思う。
それでも、私の手を離さずにいてくれた。

「もう何年付き合ってると思ってるんだよ。
俺はお前が好きだから。これからもずっと、好きだから」

不安になってる私のことを思って、ちゃんと言葉にもしてくれていた。
それなのに私は……
彼を、信じきることが出来なかった。

「もう耐えられない。限界」
「おい、あかり!!」

彼の手を振り解いて、アパートを出た。
それまで実家暮らしをしていた私はすぐに大学近くのアパートを借りて一人暮らし。
博樹とは、一切連絡を取らなかった。





「子供だったの。なんにもわかってない、子供だったから」
「今も、未練あるのかよ」

未練。
ないと言えば、きっと嘘になる。
久しぶりに会って、こんなにも心が揺れた。
あんな終わり方をしてしまったから、それも仕方ないのかもしれないけど。

「心配しないでよ。今の私の彼氏は、あんたなんだから」

笑顔で言った。
こんなことで、今ある幸せを壊しちゃいけない。
私には今はこの人がいる。

「なら、いいんだけどさ」
「うん。っと、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「あぁ、うん」

立ち上がって、席を離れた。
通路の突き当たりの左がお手洗い。
その向かいは、「STAFF ROOM」と書かれている。
突然、そのドアが開いた。

「うわっ!!」

聞こえた声は覚えがあるもの。
そう、博樹だった。

「あ……」

お互いが動きを止める。
そして、徐々に逸れていく視線。

「幸せ、そうだな」

口を開いたのは彼の方。
反射的に彼の顔を見た。
変わらない、彼。

「あ、う、うん。博樹は今、どうしてる?」
「あー、前の会社は辞めて今ここの社員なんだけど」

確か、高校卒業してから勤めていたのはどこかの工場だった。
信じられないくらい忙しくて、大変そうだったのを覚えてる。

「それと、去年結婚したよ」
「えっ……」

頭が、真っ白になった。
結婚。
そんな言葉がこの場に存在することが信じられなかった。

「もうすぐ、子供も生まれる」

更に追い打ちをかけるように博樹は言った。
もう、全然頭が動かない。

「そ、そうなの? そっか……。おめでとう」
「あぁ。ありがとう。あかりは? さっきの人は彼氏? 旦那?」
「彼氏、だよ」

喉がカラカラに乾いてるのがわかる。
上手く声が出せない。

「そっか。安心したよ。ずっと、どうしてるのかと思ってたから」
「……あのときは、ごめんね」

声を震えた。
鼻の奥がツンとする。
泣いちゃダメ。今ここで泣くのはずるい。

「いいんだ。もう、過ぎたことだよ」

──過ぎたこと。
彼のその言葉が、ぐさりと私の胸を刺した。
そうそれは、過ぎたことなのだけど。
その通りなのだけど……

「あかり?」
「あ、ごめん。うん。そうだね。もう、昔のことだもんね」

彼から逃げ出した私。
心の中でずっと、彼は私を探し続けているんじゃないかと思っていたのかもしれない。
そして今ようやく、見つけ出してくれたのだと思ってしまったのかもしれない。
25にもなって、何を夢見がちな……。

「あかりには感謝してるよ」
「えっ、感謝……?」
「うん。あかりとの4年間があったから、今の俺がいるから」

博樹の中に、私は欠片でも残っているんだろうか。
彼の人生のほんの一部分の時間を一緒に過ごしただけの私。
そんな私が、今も彼の中に生きているのだとしたら、それは、幸せなことなんだろうか。

「ずっと、思ってた。
どこにいて、何をしててもいい。ただ、幸せであってほしいって」

その言葉に、自然と涙が零れる。
自分のしたことの愚かさを、改めて知った。

「ごめんね博樹……ごめんね……」
「いいんだよ。もう、いいから」

あの頃のように、優しく頭を撫でてくれる博樹の手。
私が、自分自身の意思で、振り払った手だ。

「あり、がと。私、幸せだった。ホントに、ホントに、幸せだった」

今私を襲っているのは、後悔だ。
だけど、出来ることなら……私も彼に感謝したい。
出会えたこと、付き合えたこと、今こうして再会出来たこと。
そして私は確かに幸せだったんだと、彼に伝えたい。

「うん。俺も、幸せだった。何ひとつ、後悔なんかしてないから」

数年の時が過ぎて、今こうして博樹のこの言葉を聞けたのは、本当によかったと思う。
これから前に進むために、必要なことだったんだ。

「博樹、仕事中でしょ。もう行って」
「あ、そうだった。ごめん。じゃあ、行く」
「うん。ありがとね」
「俺も、ありがと。またな」

手を振って、博樹は仕事に戻って行った。
私は彼の背中を見送って、ゆっくり、深呼吸。




「あれ? お前泣いた?」

席に戻ると、目ざとく私の赤い目を見つけた彼。
ホント、よく見てるんだから。

「私さ」
「ん?」
「あんたの手は、離さないからね?」
「へ?」

そうして私は、ぎゅっと、彼の手を握った。





【あとがき】
こちらもお待たせしました。
10万Hit御礼小説でございます。
今回は「ちょっと切なめ。でも未来へ向かう感じで」というのを念頭に書いてみました。
若い頃って、そのときの感情だけで動いちゃうことがよくありますよね。
大人になってからもそのときの後悔って、残ってたりする。
だけど結局それは過去で、時間は確実に動いてて。
今の自分が出来るのは、未来へ向かって歩くことだけなんだ、と。
そんなことを思いつつ書いてみました。
なんか久しぶりに一気に書けた気がします。
よかったよかった。笑

未希






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