同じ傘の下で

「あっれー? 酒井、傘はぁ?」
「俺傘持ってくんの嫌いなのー」
「何それー」

私の耳に届いた、そんな声。
そうあれは、私の好きな人の声だ。
大好きな大好きな、酒井君の……。



「亜紀乃、これから雨ひどくなるみたいだし早く帰ろう」

親友の由美にそう言われて、私は頷き歩き始めた。
放課後の空はどんよりとしていてぽつぽつと小雨が降る。

「あれ? 酒井また傘持ってないわけ?」

由美は傘の向こうに見えた背中に向かって呟く。
その名前を聞いただけで、私の心臓は壊れそうだ。

「嫌いだって、言ってたよ。傘持ってくるの」
「意味わかんない」

私の言葉に由美は即座にそう返してくる。

「バカなんだよね、結局」

そう言って由美はスタスタと歩いていき、酒井君の隣に立った。

「おい、バカ」
「あ?」

“バカ”という言葉に反応した酒井君が、睨むように由美を見た。
髪の毛が濡れてて……なんだか色っぽい。
どうして男の人なのにあんなにセクシーなんだろう。

「傘は?」

由美は酒井君に素っ気無く尋ねる。
由美と酒井君はいつもあんな感じ。
二人は中学のときからずっとクラスが同じらしいから、仲もいい。
由美に言わせるとただの“腐れ縁”らしいけど。

「なんだ、由美か。傘なんか持ってねぇよ」

そう言った酒井君が、ふとこっちを振り返った。
目が、合う。

「なんでこんな朝から雨降ってる日に傘持ってこないのよ」
「お前に関係ないだろ?」

酒井君はそう言うとまた歩き始めた。
由美はため息をついて私のところに戻ってくる。

「なんなの、あいつ」
「何か理由があるのかな」

酒井君が、傘を持ってこない理由。
そんなのいくら考えたって思いつかない。



あの日も、酒井君は傘を持っていなかった。








「やばっ、もうこんな時間?! テレビ始まっちゃうよ!!」

あの日私は、図書館で調べ物があって遅くまで学校に残っていた。
帰ろうと思って外に出たら、雨。
天気予報で雨が降るって言ってたから、私は傘を持ってきていたからそれを差して歩き出す。

「あ」

そしたら見えた、あの背中。

「酒井君……?」

思わず名前を口にした。
濡れた髪を掻き揚げた彼が振り返る。

「ん? 久住さんか。誰かと思った」
「傘……持ってないの?」

びしょびしょな彼の手には、傘と言うものが見当たらない。

「あぁ、うん」

苦笑して彼はまた髪を掻き揚げる。
その仕草が、妙に色っぽくて目を奪われた。

「あ、あの、よかったら入ってく? ……って、恥ずかしいよね」

私がそう言うと、酒井君はきょとんとした顔をして私を見た。
だけどすぐに笑顔になって、こちらに歩いてくる。

「ほんとに? ありがと」

そうして酒井君は、私から傘を取った。

「え?」
「俺の方が背高いから俺が持った方がいいでしょ?」

そう言って酒井君は笑った。
そして私達は、ひとつの傘の下、二人並んで歩き始めた。

きっと酒井君はあのときのことなんて覚えてないんだろうな。
思えば私と酒井君はクラスメイトなのにあの日までろくに会話をしたことがなかった。
そしてあの日以来、私達はまたろくに会話をしない関係に戻った。
たった一度の、輝く思い出。










翌日。また、雨が降っている。
今日は由美は委員会があるから一人で帰る。
傘を差して歩き始めると、前方にあの背中を見つけた。

「また、傘持ってないんだ」

傘を差さずに、どんどんびしょびしょになっていく酒井君。
どうして彼は、傘を持ってこないんだろう?
なんだかそれが無性に気になって、私は無意識に彼に近づいた。

「酒井君?」

声をかけると、酒井君は驚いたように振り返る。

「久住さん……」
「また傘持ってないんだね」

尋ねると、彼は苦笑した。

「うん」
「……入ってく?」

もう一度、あの日のように二人で並んで歩きたい。そう思った。
酒井君は一度動きを止めたけど、にこりと笑って私に手を伸ばし、傘をとった。
あの日のように。

「ありがと」

そして私達は歩き出す。







「ねぇ酒井君、どうして傘持ってこないの?」

酒井君の隣を歩きながら、私は彼に尋ねてみる。

「もう一回、こうしたかったから」

彼はただそう答えた。

「え?」

意味がわからずに首を傾げる私に、酒井君はいつもの笑顔をくれる。

「覚えてる? 前にもこうやって一緒に帰ったの」

それはまさしく、あの日のこと。
忘れるわけがない。だってあの日……・
あの日、私は酒井君を好きになった。

「覚え、てるよ?」
「あの日はさ、ほんとにただ忘れただけだったんだ。
そこに久住さんが現れた、と」

“あの日は”って言葉が引っかかる。
じゃあ、いつもは違うの……?

「俺と久住さんってあんまり喋ったことないじゃん?
だからどんな子なんだろう〜とか思ってたけど、あの日すっげぇ優しい子だってわかった」
「そ、そんな……」
「あの日から俺、久住さんのことが気になって気になって……。
だけど話しかけられなくて」

彼の口から、信じられない言葉が次々出てくる。
まるで自分の気持ちを言われているかのよう。
私の中に、淡い期待が生まれ始めた。

「だから、また雨の日に傘持たずに歩いてたらもう一回一緒に帰れるかな〜とか思ってさ」

その瞬間、彼が何故雨の日に傘を持ってこないかの疑問が解けた。
つまり、酒井君は……

「私が声をかけるのを待ってた、の……?」

そう言うと、酒井君は少し顔を赤くした。

「バカだよな〜、俺。普通に話しかければいいのにさ。
これしか方法思いつかなかったんだ」

照れたように笑う顔。
そんな顔、初めて見るよ。
私もっと、色んな酒井君を知りたい。

「酒井君」
「ん?」
「私、酒井君が好きです。
あの日からずっと……ずっとずっと、好きです」

私の言葉を聞いた酒井君は一度足を止めた。

「……え?」

せっかくの告白が台無しだよ、酒井君……。

「え、久住さんが、俺を?!」
「うん」

そんなにびっくりすることかなぁと思うんだけど、とりあえず頷く。

「うっわ……どうしよう、俺」

もしもし? 酒井君?


「俺も、久住さんが好きだよ」


しばらく理解不能な行動をとった後、酒井君はそう言ってとびっきりの“酒井スマイル”をくれた。
もちろん、それで倒れそうになったのは言うまでもない。



「これからはさ、亜紀乃って呼んでいい?」
「う、うん」
「これからよろしくね、亜紀乃」

その後酒井君の冷たい唇が私の唇に触れた。
彼の前髪から伝った雨が私の頬を流れる。
二人入るには少し小さい傘の下、私と酒井君は出来る限り近づいて、ゆっくりと歩き始めた。





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