番外編:心の内側

「ねぇ、陽一。あんた結婚しないの?」
「予定はないな」

その日、棚橋は友人である菊地紗代子と飲んでいた。
高校時代からの付き合いで、同じ大学にも進み、就職してからも何度も一緒に飲んでいる。
女性ではあるが、そんなことはまるで感じさせないほどサバサバしている。

「気になる子とか、好きな子とか、いないの?」
「好きな子、ねぇ……」

男女間の友情なんて所詮存在しないと言う者もいるが、この二人の間にはしっかり成立している。
お互いに一切の恋愛感情は持っていない。
男だとか、女だとか、関係なしに一緒にいられる存在は珍しい。

「何? いるの?」
「いや、お前だから言うんだけどな」
「うん。言っちゃいなさい」

棚橋は、一度ジョッキに口をつけた。
そしてジョッキを置くと同時に溜息。

「よくわからないのが、一人いる」
「よくわからない?」
「いや、違うな。そう思おうとしている、が正しいのかな」
「意味がわからないわ」

紗代子は首を傾げる。
すると棚橋は、そうだろうな、と笑った。

「勤めてる高校の、生徒なんだ」
「あらあら……」

紗代子の反応に棚橋はまた笑う。
このことを、誰かに言うのは初めてだった。
本当に、紗代子相手だからこそ言えること。

「自分の中で、確実に特別な存在になっている気はしてる。
でも……やっぱり生徒だしな。セーブをかける自分がいる」

ジョッキに残るビールを飲み干した。
そして近くにいた店員にお代りを頼む。

「どんな子なの?」

紗代子は優しい笑顔で問いかける。
棚橋の気持ちを咎めることは一切言わない。
それが、棚橋にはありがたかった。

「いつもいつも、保健室にさぼりに来る奴」
「あらま。学生の本分を忘れてるわね」
「だけどこれがまた成績優秀なんだな」
「へぇ」

からかいの色をまったく見せず、紗代子は棚橋の話を聞く。
だからこそ棚橋もまっすぐに自分の気持ちを話す。

「この間、一緒に飯、食いに行ったんだ」
「えっ、いいの? そんなことして」
「まっ、気紛れっちゃ気紛れだ」

棚橋は、先日のことを思い出していた。
それは、彼女と食事に行ったときのこと。
そのときに見た、彼女の涙。
それが頭を離れない。

「でも、確かにそれはただの保健医と生徒じゃありえないことで……。
俺は、自分でそのラインを越えてしまったんだ。あいつを巻き込んで。
なのに、俺はあいつを無理矢理突き放した。
そしたら、泣かれた」

彼女の涙には本当に驚いた。
そして気付いてしまった。
彼女の中にある気持ちの欠片に。
このままではいけない。今すぐ止めなければならない。
そう、思ったのに。

「あいつの泣き顔が、頭から離れねぇ。夢にまで出てくるくらいだ」
「陽一……私、言っていいの?」

紗代子がそう言うと、棚橋は笑って首を横に振った。
棚橋には紗代子が“何を”言っていいのかと聞いているか、すぐにわかった。

「今は、やめてくれ。あいつが卒業するまでは、口にしたくない。他人から聴きたくもない」
「そう。じゃあ言わない。でも、覚悟が必要ね」

カラカラとグラスを揺らし、紗代子は言う。
その顔は真剣だった。
だから、棚橋も真剣な表情で頷く。

「わかってる。だから……あと1年は独身だな、俺は」
「まぁ、期限まではまだまだあるし、頑張ってね」

紗代子はそう言って棚橋にウインクする。
それを見て棚橋は苦笑した。

“期限”
紗代子が言うそれは、二人が大学時代にした約束のことだった。

──35歳までお互い結婚してなかったら、結婚しよう。

二人は、お互いに恋愛感情がないことを自覚している。
そして、お互いに絶対に揺るぎない信頼関係があることも、自覚している。
だから、自分たちが結婚したら上手くいくのではないかと、紗代子が言い出した。
棚橋もまたそれに同意した。
それは二人しか知らない約束。

「でもお前、今の彼氏と結婚するんじゃないのか?」
「うん。そうねぇ。そうなりそうな気配はあるんだけど……」
「なんか問題でも?」
「向こうのお母さんが私のことあまりよく思ってないの。彼、長男だし」
「へぇ」

それから二人はゆっくりと飲みながら話をした。




「じゃあ、またね、陽一」
「あぁ。またな」
「今日の話は……また1年後に聴かせてね」
「はは。あぁ、そうするよ」

紗代子を見送って、棚橋は歩き出した。
その瞬間からすぐに、棚橋の頭の中には一人の少女の顔が浮かぶ。

「離れねぇなぁ、ホントに」

小さく、自嘲気味に呟いた。
頭の中の少女は、今日も涙を零している。

「あと1年……」

1年後、自分は少女とどうなるのだろうと、棚橋は思う。
もしかしたら、どうなることもないのかもしれない。
その可能性が、一番高いとも言える。
何より最近、少女は自分を避けている。
聞いた話によれば彼氏が出来たらしい。

「神のみぞ知る、ってやつかな」

フルフルと頭を振って、雑念を消した。




【あとがき】
久々高校時代編。
これは本編7話辺りの棚橋の様子です。
話の中に出てくる、「35歳までお互い独身なら〜」ってやつ、他の小説で使おうとしてた設定です。笑
何気なく使ってみました。
棚橋には美人の異性の友人がいることが判明。笑
男女間の友情って、どうなんでしょうね。
この二人の間にはしっかり存在してるんですが。
難しいところだな。






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