ドアが開く音がする。
書類と戦っていた棚橋はちらりと入り口に目をやった。
そして、固まる。

「雨宮?」

そこに立っていたのは、雨宮だった。
彼女がここに来るのはほぼ1ヶ月ぶりになる。

「棚橋……ごめん。ちょっと……寝かせて」

フラフラとした足取りで雨宮はベッドに近寄る。
そしてそのままパタッと倒れた。
棚橋は溜息をついて立ち上がる。
どうせまた母親の店を手伝っていてあまり寝ていないのだろう。

「あんまり無理すんなよ」

既に寝息を立てている雨宮に向かって小さく呟き、カーテンを閉じる。
席に戻って、仕事を再開した。



「ふわぁ……よく寝た……」

1時間後。
カーテンを開けた雨宮があくびをしながら出てくる。

「でけぇ口開けてあくびしてんじゃねぇぞ、お前」
「うっさいなぁ」

そうして雨宮は戸棚まで歩いていき、コーヒーカップを手に取った。
手際よくコーヒーを淹れて、またベッドに座る。

「久しぶりだな、お前がそのカップ使うの」
「んー? うん。そだね」

コーヒーを飲みながら、雨宮は答える。
1ヶ月ぶりに棚橋のいる保健室にやってきて、こうしてコーヒーを飲んでいる。
なんだかそれがすごく幸せなことのように思えた。

「三吉とは上手くやってんのか」

そう尋ねられて、雨宮はビクッと体を震わせた。
まさか棚橋にそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。

「……ぼちぼち」
「なんだそれ。三吉がかわいそうだな」

三吉とは続いている。
穏やかに、幸せに、なんの問題もなく付き合っている。
だけど雨宮は、それを棚橋に知られるのは嫌だった。
何故だかはわからない。でも、嫌だった。

「棚橋はー? 相変わらず独り身なの?」

いつもの調子で聞いた。
変に意識してはいけない。
1ヶ月前のように。あの頃と変わらない感じで接しなければ。
だけど今の雨宮には、1ヶ月前自分がどう棚橋と接していたか、もうわからなかった。

「当たり前だろう? 俺は当分結婚はしねぇよ」
「当分って、いつまで?」

別にそんなことが聞きたいわけじゃない。
でも、何を喋っていいのかわからない。
棚橋との距離感がわからない。

「そうだな。少なくとも……あと1年は」

棚橋はあくまでも淡々と答える。
視線は書類に向けたまま、一切雨宮を見ることはない。

「1年? なんか、あるの?」
「……別に」

変な間があった。
雨宮はそれに気付いたが、追求はしなかった。
知ってもきっとどうすることもない。
いや、知ってはいけないと、本能で察知していたのかもしれない。

「最近、あっちはどうだ? 何事も、ないか?」

今日は珍しい日だ。
久しぶりにちゃんと会話をするからなのだろうか。
棚橋はよく喋る。しかも自分から。

「あぁ、今ほとんど三吉と一緒にいるから、別に……」

あっち、とは当然嫌がらせのことで。
けれど本当にそれは最近少なくなっていた。
三吉と付き合うようになってから、理数以外の授業もサボるようになったのも原因のひとつかもしれない。

「お前この間、担任に呼び出しくらってただろ」
「へ、なんで知ってんの」
「指導室入ってくの見た」

最近、呼び出されることが多くなった。
このままでは3年生への進級は難しい、と。
もっとちゃんと授業に出ろと、そういうことだった。

「あー……三吉が全然授業出ない奴だからそれに付き合って……」
「お前それでいいのか?」

棚橋が、動かしていたペンを止めた。
顔を上げてじっと雨宮を見据える。

「なっ、なんだよ、急にマジになって……」
「お前がいいなら俺は何も言わねぇよ。でもホントにそれでいいのか?」

今日はやっぱり、珍しい日だ。
棚橋は普段こんなことは絶対に言わなかった。
どれほど雨宮が授業をサボっても、ほとんど無関心だったのだ。

「どうしたの、棚橋……」
「何が」
「あんたがそんなこと言うなんて、初めて、でしょ」

雨宮は動揺していた。
どうして急に?
その思いだけが働いていた。

「俺はなぁ、1年のときからお前のことは知ってんだ。
1年以上も一緒にいりゃ、そりゃ情だって移るんだよ」

そんなことを棚橋が言ったのは、本当に初めてだった。
いつもどこか雨宮とは線を引いて付き合っていたのに。
雨宮は戸惑って声が出ない。

「いいか、雨宮。お前が誰と付き合おうがそれはお前の勝手だ。
でもな、後悔するようなことだけはすんなよ?
俺は、お前にはちゃんと卒業して欲しいと思ってんだからな?」

今日の棚橋は一体どうしてしまったのだろう。
こんな“教師っぽい”棚橋は初めて見る。
いつもどこか適当で、だらしなくて。
雨宮が知る棚橋は、今日はどこにもいなかった。

「棚橋って……ずるい」
「は? 俺のどこが? 何が?」

雨宮はコーヒーカップをぎゅっと握る。
カップの中のコーヒーがゆらゆら揺れた。
まるで、今の雨宮の心のように。

「優しくしたり、突き放したり、あんたあたしのことからかってるわけ?」

きっと棚橋を睨む。
もうこりごりだ、と雨宮は思った。
気がつけば自分は、棚橋に振り回されている。
いつの頃からか、棚橋の言葉に、行動に、揺さぶられている自分がいた。
でももうそんなのは嫌だった。
棚橋の本心が見えないこんな関係は、もう終わりにしたかった。

「あんたの本心、聞かせてよ……!!」





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