第五話

紗友里を、俺の部屋に連れてきた。
ここに来るまで、俺も紗友里も一言も話さなかった。
扉が閉まった瞬間、紗友里が体を強張らせる。
そんな紗友里の手を離し、俺は部屋の中へ進んだ。

「こっちへ、来てくれるか」
「……ここでいいです」
「ゆっくり、話がしたい」

そう言っても、紗友里はこちらへこようとはしなかった。
諦めた俺は、一人ソファーに座る。
話をしたいとは言っても、何から話せばいいのかわからない。
しばらく、沈黙が流れた。

「どうして今日、お店に来たんですか?」

沈黙を破ったのは、紗友里の方だった。
それが意外だった俺は、すぐに言葉を発することが出来なかった。

「……私に、あんなことをしておいて、1ヶ月も何もなくて、それなのにどうして今日、お店に?」

ドアの前で自分の身体を抱くように立っている紗友里。
俺には近づきたくないという気持ちが現れているようだった。
自業自得だとはわかっている。
それでも俺は、そんな紗友里の態度に傷付いていた。
傷付く、なんて俺のガラじゃないのに。

「お前に……謝りたかった」
「何を、ですか」
「自分の欲望を、ただ強引に、お前に押し付けたことを」

昨日、葉子に言われて、葉子を抱いて、わかった。
あのときの紗友里が俺の何を恐れ、嫌悪し、何を望んだのかを。

「今更、あのときのお前の気持ちが、わかったから」
「……大事にしたいと思える人が、出来たからですか?」

紗友里のその言葉の意味は、俺にはわからなかった。
とにかく紗友里とちゃんと話がしたくて、俺はもう一度紗友里の元まで歩いていく。

「座って話、出来ないか?」
「嫌です。そっちには行きたくありません」

頑なに、そこを動こうとしない紗友里。
このままでは話なんて出来やしない。

「もう、無理にお前にあんなことしない」
「他にする相手がいますものね」

その言葉で、ようやくわかった。
さっきからずっと、紗友里は葉子のことを言っているんだ。
やはり、見られていたんだろう。昨日の、葉子との姿を。

「びっくりしました。あんなに優しい先生、私見たことなかった。
よかったですね、ちゃんと思いやれる相手が見つかったんですね」

そう言いながら、紗友里は涙を流す。
俺は戸惑いながらも、その涙を指で拭った。
だが、紗友里はすぐに俺から一歩後ずさる。

「触らないでください……」

はっきりとした拒絶に、眩暈がする。
ここまで嫌われてしまっては、もうどうしようもないのかもしれない。

「俺、は、お前が欲しい。その気持ちは、今も変わってない」

そんな言葉、今になってしまえば虚しく響くだけ。
でも、今も俺は、その凶暴な感情をこの胸に抱えている。
爆発しそうになるのを必死に抑えているのは、あの日を繰り返すのが嫌だからだ。

「お前の全部を、俺のものにしたい。そう思う気持ちも消えてない。
好き、とか、そんなもんじゃない。
愛して、いる……」

紗友里の目が、大きく見開かれた。
俺自身、驚いていた。
愛しているなんて、そんな言葉が、俺の口から出ようとは。
だが、自然と口にしていた。
こんなにも激しく求めるのは、好きだなんて甘い感情じゃない。
彼女の存在事手に入れたい。
それは、彼女を、愛しているからに他ならない。
それが、俺の本心だ。

「う、そつき……。だって、昨日……っ!!」

紗友里がぐっと拳を握ったのがわかった。
思い出しているんだろう、昨日、その目で見たことを。
なかったことに出来たらと思う。
けれど、それは出来ない。

「昨日お前が見たものを、消すことは出来ない。
俺はお前のことが欲しいと言いながら、他の女を抱いた」

紗友里の表情が歪む。
そんなことは聞きたくないと言うように、俺から顔を逸らした。

「お前を想いながら、抱いた。
最低だろう? 他の女を抱きながら、お前のことだけを考えてた。
今抱いてるのがお前だったら。
あのときもしもっとお前の気持ちを考えることが出来ていたら。
そんなことを考えながら、頭の中でお前を抱いてた」

紗友里が、揺れる瞳をこちらに向けた。
俺は、ゆっくりと頭を下げた。
自然と、そうしていた。

「今更謝ってもどうにもならないことはわかっている。
許してほしいなんて、都合がよすぎるということもわかっている。
でも、すまなかった。本当に……」

人に頭を下げるなんて、今までの俺にはありえなかった。
けれど、気付いてしまったんだ。
自分の何をなくしてでも欲しいものの存在に。
過去を変えることは出来ない。
ならせめて、これからの未来くらいは。

「先生?」

呼ばれて、頭を上げる。
そこには、複雑な表情をした彼女がいた。

「先生のお気持ちは、わかりました。
お話は、もうこれでよろしいでしょうか?」
「紗友里……」

俺が名前を呼ぶと、彼女ははっとした表情になる。
そして、微かに笑う。

「名前、初めて呼ばれました」

そう言えばそうかと思う。
彼女に対して今までの俺は「お前」などとしか言ってこなかった。
とことん嫌な男だっただろう、彼女にとっての俺は。

「帰ります」
「なっ、紗友里、待ってくれ!」

ドアノブに手をかけた彼女の腕を掴む。
そのまま振り向かせると、彼女はやっぱり泣いていた。

「先生は、仰いました。都合がよすぎると。
その、通りです。
今更そんなことを言われても、私はどうすることも出来ません……」

彼女はゆっくりと俺の手を引き剥がした。
そしてそのまま、ドアを開ける。
次の瞬間、俺と紗友里は目を見開き、固まる。

「葉子……」

そこに、葉子が立っていた。
青ざめた顔で。

「光司、どういうこと? この子、誰……?
愛してるって、なんなの……!!」

キッと、葉子が紗友里を睨む。
反射的に、紗友里の腕を掴んで引っ張っていた。
葉子の右手が振りかぶられ、さっきまで紗友里が立っていたその場所に振り下ろされる。

「葉子っ!!」
「なんなのよ!! 私を抱きながらその子を想ってた?! 冗談じゃないわ!!」

すべて、聞かれていたようだ。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で葉子は叫ぶ。
俺は腕に抱いた紗友里を、そっと俺の後ろへとやる。
紗友里が、俺の服を掴んだのがわかった。

「葉子、すまない。お前には本当に悪いことをしたと思ってる……」
「嫌よ! 聞きたくない!!」
「葉子、頼むから話を聞いてくれ」

紗友里を背にしている以上、ここは動けない。
だがどうにかして葉子を落ち着けなければいけない。

「私がどれほど貴方を愛していたかわかってるの?!
昨日、あんなふうに抱いてくれたから、ようやく、ようやく気持ちが繋がったと思ってたのに……!!」

俺は、本当になんて最低な男なんだろうか。
こんなにも俺を想ってくれている人を、深く深く傷つけてしまった。
取り返しのつかないことを、してしまった。

「葉子、わかった。わかったから。
部屋に入れ。ちゃんと話そう。
……紗友里、本当にすまない。今日は、帰ってくれるか?」

葉子とは一定の距離を置くようにしながら、紗友里をドアへと促す。
紗友里はすっとドアへと歩を進めた。

「ご心配なさらなくても、もう来ませんから」
「紗友里……」
「お元気で」

そうして紗友里は、ドアの向こうへ消えた。







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